人生経験

戦争や原爆について詳しく解説、原爆が太陽より熱いと言われた理由

こんにちは、スロプロのけいです。

最近YouTubeで広島の原爆投下の映像や、原爆にまつわる色々な物語を見ていたのですが、見ていたら戦争の事を深く考えてしまいました。

遊就館と原爆資料館、どちらも生涯で一度は行ってみた方がいいと思う。

僕は東京の遊就館(特攻隊の遺影や、手記、遺品などが展示されている施設)

広島の原爆ドーム、原爆資料館に行った事があるのですが、自分の中では、とてもいい体験になってます。

遊就館に行った時に特攻する人の手記などを読んだのですが、昔の人は今の人達とは全然違う考え方で、

しっかりしていて家族想いだったんだなぁと感じました。

 

20代前半で特攻した人の親にあてた手紙や手記を読んでみると、とても20代前半の人が書いたような手紙や手記とは思えないほど、

しっかりした考え方や感謝の気持ちを持っているなと思いました。

 

現在とは文字の字体が違うので、直接読むのは難しいですが・・・

今の人達がもしそうなったらって考えると、ほとんどの人が彼らの様にはなれないんじゃないかと思います。

あと、たくさんの顔写真(遺影と言えばいいのか分かりませんが)が展示されている区画があるのですが、その場所だけ雰囲気が全然違います。

雰囲気の違う場所は、特攻で亡くなった方のセピア色写真が展示されている区画

雰囲気の違う場所は、特攻で亡くなった方のセピア色写真が展示されている区画

行ったら分かると思いますが、あの場所だけなぜか違和感を感じるんですよね。

お喋りしながら見ていた人達もその展示場所に入った瞬間からほとんど喋らなくなるし、展示されているのは特攻で亡くなった人たちの写真なので、

その区画だけドーンと空気が重くなる感じがします。

原爆投下の裏話

これは、YouTubeを見ていて知ったのですが、原爆でアメリカ兵の捕虜も十数人亡くなっている。

原爆を落とした搭乗員たちもここまで凄まじい爆弾だとは想像していなかったそうです。

投下後、すぐに離脱するよう命令されていたみたいですが、衝撃波が機体に到達した時は、衝撃が凄かったようで搭乗員たちも何が起きたのか分からず混乱していたという事です。

確かに投下の映像を見ると衝撃波は地面をそっているように見えますが、実際には衝撃波も球体で、空の上でも受けるんだそうです。

原爆を落とした後、被害の状況を調べるために、エノラ・ゲイ(原爆を搭載した戦闘機の名称)の搭乗員、軍の上層部の人達が視察に訪れた際、

あまりのむごさに投下した事を後悔したと言っているように感じる内容の手記がある。

広島の原爆が落とされても日本は降参に応じなかった、その為2発目(長崎)の原爆が投下された。

長崎の次は東京に投下すると検討されていた。

アメリカの政治的背景が絡んでいた。(これは何となく知っていました)

 

しっかり見てみるとそうだったんだ、と思えるような事がいっぱいありました。

特に、被爆によって大けがを負って治療されている映像に出ていた人が現在の元気な姿を見せている映像を見た時は、この人生きのびてたんだ!と驚きました。

こんな事言うと不謹慎かも知れませんが、あれだけのやけどを負っていたので、正直、お亡くなりになっていると思ってました。

背中に大やけどを負っていて、治療している映像でした。

うつ伏せのまま1年以上治療をして、3年以上病院生活を送り、やっと治ったと証言していました。

 

当時の治療ではうつ伏せで寝かせたままの状態から動かす事ができず、1年以上うつ伏せになっていた結果、皮膚の細胞とあばら骨が腐ってしまったと証言していました。

70年以上たっても、見た目は痛々しいです。

心臓が鼓動を打つのがはっきり分かります。

 

2017年にお亡くなりになっています。

YouTubeで原爆投下全記録で検索すると出てきます。

ノンフィクションかどうかは分かりませんが、原爆投下での人間ドラマを題材にした短編アニメーションなんかも見始めると止まらなくなりました。

もうめちゃくちゃもどかしい内容ですが、フィクションであろうが実際に亡くなった人の数を考えたら、フィクションではなくノンフィクションと言えると思います。

被爆者からの手紙というシリーズがあって特に「貴方へ」という題名の物語が僕は共感できたし、実際こういう心境になった人は多かったんだろうと思いました。

広島では、原爆が落とされた年の死者は14万人、長崎では7万5千人となっています。

原爆は太陽より熱かったと表現されるのを聞いたことありませんか?

原爆は太陽より熱かったと表現されるのを聞いたことありませんか?

爆心地とよく言われていますが、原爆は地面について爆発したわけではなく、地上から600m上空で爆発しました。

分かりやすく例えるならスカイツリーの高さが600mほどです。

原爆が爆発する時にできる火球の温度は中心部で100万℃を上回り、火球の表面温度は7000℃爆発時にできる火球から600m離れた地表面の温度は3000~4000℃になりました。

太陽の表面温度は5700℃と言われています。太陽より熱いと言われるのはこの火球の表面温度なんですね。

火球の大きさは、発生から1秒後には直径280mにもなります。

それに加えて、熱線、衝撃波、放射線と来られたら助からないですよね。

離れていたところにいたとして熱線から運よく生き延びても、次は衝撃波でやられてしまいます。

そこもなんとか生き延びても今度は放射線・・・

被爆者に対しての差別があった

当時放射性物質の影響は一般的にあまり知られてないので、当時の人達は原因が分からず困惑。(症状は髪が抜ける、血を吐く、血便が出る等)

しかし原爆による影響だとなんとなくは分かっていました。

もちろん差別もあり、ピカドンの毒が移る等と言われとても辛い経験をした人は多いのです。

70年以上前でこの規模、では現在はどうなのか?

70年以上前でこの規模、では現在はどうなのか?

核爆弾の爆発規模は1Kt(キロトン)=1000tで表されるのですが、広島に落とされた原爆は推定で15Ktと言われています。

北朝鮮が保有する核の規模は160Ktとみられています。

 

広島に落とされた原爆の10倍の威力!

ですがこれを超える爆弾も存在します。

実用させる事は問題が多く、難しいと言われていますが、実験は成功しています。

爆弾の重さが20t以上あり積載できる航空機がごくわずか

放射線の量が半端じゃなく自滅することになりかねない

現在までに作られた最強の爆弾(想像を絶する威力)

現在までに作られた最強の爆弾(想像を絶する威力)

その爆弾は【ツァーリ・ボンバ】と呼ばれている水爆で、威力は50Mt(メガトン)=50000Kt

広島原爆の3300倍

実験ではきのこ雲が高さ60キロに及ぶ、衝撃波は地球3周以上したといいます。

爆弾の威力は第二次世界大戦で使われた全ての爆薬量の10倍の威力になるとされている

現在でもこの爆弾を超える威力のものは存在していない。

開発したのはソ連

ソ連とは?

ソビエト連邦の略でいくつもの国が手を結んで同盟している状態っていったらしっくりきますかね。

今戦争中のロシアとウクライナもそれぞれ独立する前は、ソ連でした。

今回の記事は以上です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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ABOUT ME
kei
高校の時にパチンコを初めて打つ。 勝ってしまった事をきっかけにパチンコを打つ様になる。 もちろん負けていた。 高校卒業後、就職 在職中にパチンコの勝ち方を知り、スロットの勝ち方も覚える。 退職後は主に貯金とスロットの稼働で生計を立てている。

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