はじめまして、けいといいます。
今回の記事では、僕の自己紹介を書いていきたいと思います。
僕は今、スロットで収入を得て生活していますが、社会に出て働いていたことの方が、当然ですが長いです。
スロットでの生活をはじめてから、一年半以上は経ちました。
どれくらいパチンコやスロットに関わってきたのかと言うと、初めてパチンコを打ったのが17歳の時なので、18年くらいは関わってきました。
今はどんな生活しているのかと言うと、基本的に朝は好きな時間に起きます。
用事があれば用事を済ませて、午後からスロットの稼働をしています。
去年は朝から打ちに行く事もありましたが、今は午後から稼働しています。
朝から行くときは、設定狙いをする時や宵越し狙いをする時なので、前日にデータを見たりして打てそうな台を探して見つかれば行きます。
設定狙う時は、前日のデータだけではなく、もっと多くのデータを参考にします。
予定ができたりどこかに出かけたいと思ったら、稼働をしなければいいので、いつでも自由に行動できます。
月によって収支のばらつきはありますが大体月で10万~25万くらいは稼げます。
上振れで40万円以上の金額を稼いだ月もあります。
予定を入れたければ自分の好きな時に予定を入れられるので、サラリーマンの時よりストレスは感じません。
しかし、パチンコ屋に行きはじめた最初の4年くらいの間は、勝ち方を知らなかったので負け続ける日々を送っていました。
元々はどんな仕事をしていたのかと言うと、超有名な誰もが知っている某運送会社で15年ほど働いていました。
(制服の縞シャツが特徴的な会社です)
毎日毎日、朝早くから夜遅くまでクタクタになるまで働いて帰ってきて、ようやく来た休日にはパチンコ屋でお金を失う日々を社会人になってから、大体4年ほど繰り返していました。
ほんとに苦しい日々でした。
預金残高が増えず、お金が無いという事ばかりを考え、欲しいと思ったものも買えずにいました。
そして、
運の悪い事に、中古ですがやっとの思いで買い替えた車もすぐに故障してしまい、更に出費が増える。
(現状売りだったので保証なし)
パチンコを打ちながら勝たないとマズい、取り返さないと、という考えが強く余裕がなかったので実際には打つ事でストレスをため続ける日々を送っていました。
自分の打っている台が勝てる台なのか負ける台なのかが分からないので、常に不安が付きまとっていました。
(期待値というものがある事さえも知りませんでした)
ですが、途中ある人と知り合った事で、本当に勝てるようになれる事をり教えてもらいました。その時に初めて期待値というものを知り、ちゃんと理解して、勝つための行動をとれるようになります。
それからは、少しづつですが収支も安定する様になり、打っている時も心に余裕を持てるようになりました。
そして本当の意味での勝つということを理解していきました。
負け続けていた時とは違って、ちゃんと利益を残せるようになり、
他の社員たちより、正直言って稼げていたと思います。
勝てるようになった事で、人生が大きく変わったとも思っています。
たかがスロットに勝てるようになったくらいで大げさな、と思う人も多いかも知れません。
ですが、勝てる様になってお金をある程度自由に使えるようになるとあらゆる場面で選択の幅が広がり、自分の人生を変える事が可能になると言えます。
勝てる様になるという事は、自分が成長できたという証です。
その他大勢の負けている人達とは違う考え方、視点で台を見る様になる、違う行動を取るため、新しい発見や、考えが浮かぶようになります。
その考え方や視点の変化は別の事にも影響を及ぼすし色々な可能性を秘めていると思います。自分の人生を大きく変えるためのきっかけにもなります。
中には勝てない様に出来ている。と考えている人も多くいると思いますがそれはただ単に思い込んでいるだけです。
勝てるわけない、結局はお店が勝つ様になっている、遠隔されている、それらの考え方が定着して信じてしまっている人は、まわりの人間や環境が大きく影響しています。
まず、勝てるわけないのならパチプロ、スロプロ、という言葉が生れません。
宝くじのプロとか聞いたことないですよね?それは完全に運だからプロがいないのです。
もしパチンコ、スロットが運ならホール経営は運ですか?という話になってしまいます。
遠隔については100%ないとは言い切れませんが、リスクが高すぎてまずないと思っていいでしょう。
例えば、大手のホールがあるとします。そのホールは百店舗ほどのホールを展開しています。
そのうち1店舗でも不正が発覚すれば全店舗に影響が出ます。
1発で倒産の危機に追い込まれ、不正を犯した本人は、一生かかっても払えない様な損害賠償を請求されることになるのです。
そんな大きなリスクを背負ってまで遠隔という不正をするとはほぼ考えられません。
以上の通り勝てる様になるかどうかは自分の意思によってです。
ですが、勝てる様になったからと言って、気が緩み趣味打ちに走り続ければ確かにマイナスになっていきます。
趣味打ちが悪いとは言いません。
ですが、1度勝てる事の素晴らしさを体験してから趣味打ちの価値を考えてみてはどうでしょうか。
あなたが勝てるようになってプラスになるという体験をした後に、お金を支払い続けてでも趣味打ちをする価値があると判断したのならそれはOKです。
ちゃんとした正しい努力をすれば誰でも稼げる様になるのがスロットです。
会社に頼らず自分の力だけで手っ取り早く稼ぐ方法としては、スロット(パチンコも含む)は最適だと思います。
このブログでは、僕の稼働記録やスロットの知識、人生での出来事を伝えています。
ではここで僕のスロットでの実績やスロットを打つことで勝てることのメリットなどを、簡単に説明をさせてもらいます。
勝てる事のメリット
・スロット天井狙い最高月収入額47万円
・天井狙いのみの実践で約半年で70万円稼ぐ
・自分の努力次第で収入が決まる。
・狙い方を増やせば収支UPも可能。
・時間に縛られない(スロット打ってる以外)
・予定は自由に決められる。
・面倒な人間関係に悩まされない。
・兼業なら給料+αで収入が得られる。
・スロット好きな人なら打つ事が苦にならない。
・打てば打つほど収支が増えていく。
簡単に書くとこんな感じです。
サラリーマンの方や主婦の方、学生の方であれば、勝てるようなれたら
経済的にかなり余裕ができるはずです。(今現在マイナス収支の場合)
僕はサラリーマン時代に、休日稼働だけで最高で月40万稼いだ事があります。
当然ですが、サラリーマンなので給料も入ります。
月の収支がプラスマイナスゼロって時もありましたが、
十分な金額を、毎月当たり前のように残せていました。
しかし、負けていた時期はというと、
休日になってはパチンコ屋で負け、たまに勝てたとしても、それは少しの金額が返ってきているだけなのに嬉しいとさえ思っていました。
大変な労働をして1日かけて稼いだお金もパチンコ屋に行けば数時間で消えていく・・・
1日分ならまだましで、下手したら数日分の給料のお金を失うこともありました。
たったの数時間で・・・
頭の中では負けると薄々わかっていても、もしかしたら勝てるかもしれない
と考えて打ちに行き、結果はというと、しっかり負けていました。
そして、負ければ仕事のやる気がなくなり、ただでさえ業務がキツイと感じているのに、負けたときはもっと苦しくなる。
そんな日々を繰り返していました。
しかし、そこまでしてもパチンコ、スロットをやめる事はできませんでした。
ある日、このままではマズいんじゃないかと考える様になり、本当に勝てる自分に変わらなければ、人生が破滅するんじゃないかと考えはじめます。
しかし、どうやって学ぶのか全然分からない。
そんな時、職場で出会った勝っている人に勝ち方を教えてもらい勝てるようになります。
そこからは、今までとは違い金銭的に余裕ができ、負けていた時とは全く違う生活を送るようになります。
もちろんサラリーマンだったので、時間的な拘束はありましたが、金銭的に困る事はありませんでした。
節約を意識しなくても銀行の残高は増えていくし、給料をおろさないで済む事も多々ありました。
欲しい物があれば躊躇なく買えるし(僕は革製品が好きなので欲しいと思った製品はすぐ購入してました。今は買った製品を使い続けて革製品の変化を楽しんでいます)
外食も値段を気にせず好きな物を食べに行けました。
もちろん同僚からの誘いも断ることなく、よくのみに行きました。
人付き合いでキャバクラなども行きましたが、金額は高いです。ほんとにバカ高いですが、パチンコ屋での勝ち額の方が高かったので月で赤字になる事はありませんでした。
車も自分が欲しいと思う車を買えたし、多少浪費が多くなることがあっても経済的に苦しいと感じる事はなくなりました。
在職中に自分が欲しいと思ったものはもう全て手に入ったので、今何が欲しいか聞かれたら正直言ってありません。
そして何より良かったのは、自分の好きな事してお金を稼げるので苦にならず、在職中は毎日でも打てると思っていたほどでした。
最終的には退職して今に至る、という感じです。
今、僕はこうやってスロットで生計たててます!と
軽い感じで言っていますが、
会社を辞めるという選択肢は負けていた時の僕は考えてもいなかったです。
もし勝ち方を学ばずに今も負けている状態だったとしたら、
きっと今も無理して就職し、毎日のように働きたくないと憂鬱になりながらも嫌々働いていると思います。
在職中の僕は会社が好きか嫌いかと言われたら、もちろん嫌でした。
ただ、やめれば収入ゼロです。
なので、
やめる=収入がゼロになってお金が無くなる。
無理するしかない!!というのが勝ててなかった時の僕の考えです。
勝てるようになった今は、スロットでの収入があるため、無理して働く事は無いという考え方に変わりました。
こうやってブログを書いていられるのも勝てるようになったからこそ実現できているのです。
今現在、収支がマイナスで苦しい思いをしている人や、スロットが好きだけど勝てずに悩んでいる人、給料+αでお小遣い稼ぎをしたいと考えている人、ちょっと詳しい人なら台の期待値が安くても打つ価値があるのか?ということに興味がある人はぜひ、ブログを読んでみる価値はあると思います。
あと僕がブログを書いている理由を述べておきたいと思います。
僕は、勝ち方を広めて勝てる仲間を1人でも多く増やしていきいたいと思っています。
その理由は、1人でも多くの人に勝てる事で得られる恩恵をぜひ感じてもらいたいからです。
勝てる様になると得られる恩恵はたくさんあります。
なにも金銭的な余裕だけが恩恵ではないんだ、という事はあなたが実際に勝てる様になったら、よく理解できると思います。
僕の考える恩恵は以下の通りです。
節約と我慢ばかりの生活から解放されて、何も気にせずにお金を使える生活の快適さを体感できる
金銭的な余裕ができた事によって、心にも余裕ができる。
心に余裕ができる事で、ストレスを感じる事が少なくなる。
パチンコ、スロットで例えるなら、他の人が勝っているのを見てもうらやましく思ったり悔しく感じる事が少なくなる。SNS上でも同じです。
人によってはもしかしたら性格さえ変わるかも知れません。
勝てる様になる事で考え方や視点が変わる。
他の人とは違う考え方や視点を持った事で、個性的な考え方が浮かぶようになる。自分だけの視点で物事を見る様になるので、新しい発見が出来る可能性が広がる。
最終的には、誰でも人生を変えるチャンスを掴めるようになる可能性が高くなる。
(視点に関してはこの後、詳しく書いてありますのでぜひ読み進めてみて下さい)
もし、あなたが僕みたいに仕事をやめざる負えなくなってしまって、収入が無くなってしまったとしたらどうしますか?
ほとんどの人はただただ絶望して、できるだけ早く就職しないと、と焦る人がほとんどだと思います。
ですが僕はちょっとした人生のチャンスだと捉えました。
このまま就職したら、長い期間こんな自由に時間を過ごす事は不可能、
だったらこの期間をフル活用して自分のやってみたい事をやってみようと考えました。
それがスロットで生活してみる事、ブログを書く事でした。
あなたにも考え方と視点の違いで人生を楽しめる事を知ってもらいたい。
これがブログを書く理由です。
ここからは僕が今日までどんな人生を送ってきたのかを書いていきますね。
・初のアルバイト
僕が初めてバイトをしたのは、高校1年の終わりごろでした。
某チェーン店の牛丼屋でアルバイトをしました。
理由は自分の家から近かったからです。時給も当時そんなに悪いとは感じませんでした。
時給はいくらだったか忘れましたが、たしか700円かそれくらいだったと思います。
バイト先の店長さんは、とてもこわい店長さんでした。
よく言えば仕事熱心で、真面目と言えば聞こえはいいですが、一緒に働いている時には怒りを抑えられず、
手が出てしまう事があったので、今の時代では即アウトな人でした。
しかし、今では考えられない行為も、当時はまかり通っていました。
(僕もビンタをされた事があります。)
時給も半年で10円上がるとか、そんなレベルだったと思います。
今考えたら少ない!なんて思いますが、当時の僕は、お金を自分で稼げる事が嬉しくてしょうがなかったのを覚えています。
感覚で言えば、1年に1回のお年玉を自分で働いて毎月貰えるような感覚でした。
ただ店長とシフトが一緒の時はビクビクしていましたが・・・
最終的にその店長さんは暴力が本社にばれてしまい、処分を受けてその店長さんも退職してしまいました。
その後、またほかのバイトをしながら高校を卒業しました。
2回目のバイト先は、飲食店ではなく、ドラッグストアでした。
創業者の名前で有名なドラッグストアです。
最初とは違い、とてもやさしい店長さんでしたが、僕と入れ違いでやめた同年代のアルバイトさんの勤務態度がとても悪かったようで、
最初のうちは、まわりのみんながこの子はちゃんと仕事をしてくれるのか??
という感じで警戒している雰囲気でしたが、僕が真面目な勤務態度だったので段々とフランクな雰囲気になっていき最終的には店長さんから、高校出たらうちの会社で正社員してみない?とお声がけして頂けるほど信用してもらえました。
僕は自分で言うのも少し気が引けますが、真面目タイプの人間です。
なので異常に厳しくされなくてもほとんどの事は、手を抜かずに作業をしていました。
パワハラがキツイのは確かなのですが、正直言って理解できるところもありました。
社会に出て思ったのが世の中には色々な人がいて、厳しく指導しなければなめられてしまい、秩序が崩壊したひどく不平等な職場環境が出来上がってしまう可能性があるという事です。(これは就職してから思い知りました)
簡単に言ったら、わがままがまかり通って言ったもん勝ち、あれは嫌、これも嫌みたいな事を言える人間が働きやすくなり、真面目に頑張っている人がどんどん無理な仕事をまわされ、最終的には潰される職場になってしまいます。
そしてバイトを経験しながら高校を卒業後、新卒で某運送会社に就職
・ついに就職、ワタミの社長さんが働いていたことでも有名な大手運送会社へ
僕は新卒で就職、18歳で入社しました。。
その運送会社は今では上場していますが、僕が入社した頃は世間がコンプライアンスにうるさくなってきた辺りの頃でしたが、今の時代ほどではなく、まだまだパワハラが当たり前の時代でした。
今は一部上場した一流企業となりましたが、その当時は一部上場なんて絶対に審査が通るとは考えられないような職場でした。
ですがそんな職場で僕は、我慢に我慢を重ねながら15年間もの間この会社にお世話になるとは、当時は夢にも思っていませんでした。
その頃はすでにパチンコを打った事がありましたが、当然勝てていなかったし
負けるのが当たり前で、お金を払ってドキドキする感覚やワクワクする気持ちを
味わうものとさえ思っていたくらいです。
しかし心の奥底に本当は勝ちたいという気持ちはもちろんあったし、毎回打つたび勝てるようになったらどれだけ楽しいだろうとは考えていました。
ただ、入社して1年ほどは激務で、休日は友人と会ったりパチンコに行ったりすることもありましたが、頻度は少なかったです。
そして上司がまたパワハラのすごい人で、その上司の車が駐車場に停まっているのを見るたび、憂鬱な気分になっていました。
ちなみに、どれくらいの激務かと言ったら、こんな出来事がありました。
当時は実家に住んでいたので、となりの部屋には妹がいました。
僕は疲れ果てて仕事から帰って来ると、そのまま布団も敷かずに自分の部屋に入った入り口の近くで倒れ込むように寝てしまいました。
翌朝、妹が僕に用事があり部屋にきましたが、寝ていたため、
後でいいかと思いそのまま出ていきました。
そして夕方になり再び僕の部屋を訪れた妹は、僕が朝の時と同じ
体制で、ピクリとも動かないため、死んでいるのかと
思ったようで、心配されて起こされた事があります。
とりあえず業務は体力的な辛さが大半でしたが、パワハラ上司との関係に
気をつかうため、精神的にも辛かったです。
その上司はとても気分屋で、イライラしていると暴言を吐かれたり暴力をふるわれるのは当たり前でした。
僕は新人なのでいろいろと業務で覚えなければいけないことが多く、頭の中は常にいっぱいいっぱいでした。
なので指示を受ければできる限り全力で取り組み、出勤直後から疲労困憊していました。
上司に怒られる(どやされると言った方がいい)のが嫌で、業務中に
分からない事があったら上司ではなく、近くにいる社員の人にきいたりしてました。
しかし近くに上司以外の人がいない場合は、上司に恐る恐るきくしかなく仕方なくきいてみると案の定怒鳴られていました。
そのうえ怒る理由もめちゃくちゃで、ストレス発散のはけ口にされてるだけだと感じる日々が続きました。
もちろん職場の雰囲気は悪かったです。
報告、連絡、相談を徹底しろ!とはよく言われていましたが、烈火のごとく叱責されるのは目に見えているので重大な問題を正直に報告できずに隠してしまったりする人もいました。
重大な問題と言うのは車をぶつけてしまったのに報告しなかったり、違反をしたのに名乗り出なかったりです。
この会社に勤めた事がある人はよくわかると思うのですが、上記2つを隠す事は、責任重大です。この記事を読んでいて、車をぶつけた場合ちょっとの傷なら黙っていればバレないんじゃないか?と思う人は多いかも知れません。
ですがほとんどバレます、なぜかというと毎日運行管理者が全車両をチェックしているからです。
(今では車内、車外ともにカメラで記録されています。)
朝の出発時の送り出し、集配を終えて会社に帰社した時と1日で2回チェックされます。
ですが、チェックするのも人間なので運よくバレない事もあります。
(何台か帰って来る時間が重なってチェックが甘くなった場合など)
隠してしまった人は運よくバレなかったとしても、きっと数日間は生きた心地がしなかったと思います。
違反については必ずバレます。こちらは必ずです。
それは営業車での違反もプライベートの車での違反も両方です。
違反も毎年そういう機関に問い合わせをかけてチェックされていて、もし未報告の違反履歴があれば会社側から相当問題視されます。
事故、違反を起こした場合にはペナルティーがあり、ドライバーを一定期間おろされて構内勤務にさせられる、起こした事故の重大さや違反内容によってはドライバーに戻れない事も あります。
話しを戻しますが、
とにかく理不尽すぎる理由でよく怒られました。
出勤すれば、「てめぇ!何で出勤時間前に会社にきてんだよ! 店長にみられたらどうするんだ!」
と怒鳴られ「出勤時間まで休憩室にいろ!!」と怒られました。
すみませんと謝り、休憩室にいたのですが先ほどの上司から着信がきました。
電話に出ると開口一番で「てめぇよぉ!!いまどこにいんだよ! お前の先輩はもう現場に
出てるのに、なんでお前は現場にいないんだ!!おかしいだろ!」と怒鳴られました。
僕は混乱しました。 頭の中が???でいっぱいになりました。
だってさっきほんの5分ほど前にあなたに「出勤前にきてんじゃねぇよ!」
と言われたのになんで??と思うと同時に、言いたい放題言われて悔しいという感情が胸に溢れましたが、言い返すことなんてできず、「はい、すみません!すぐ行きます!」としか言えませんでした。
また休みの日でも何かあればお構いなしに会社から携帯に電話がかかってきました。
なので電話が来た日は休みの気分は一瞬にして吹っ飛びました。
休日の電話は入社してから退職する時までなくなる事はありませんでした。
ただ、時代の流れで良くないという風潮になっていき頻度は低くなりましたが、今でも携帯が鳴るとドキッとしてしまいます。
またある時は、上司の機嫌が悪い時に、事務所のみんながいる中で大声で「おまえ さっき構内(禁煙)でかくれてタバコ吸ってたよなぁー!」と言われたことがありました。
もちろん吸ってません、ただ言いがかりをつけて憂さ晴らししたいだけで僕がターゲットにされたのです。
その時はさすがに「吸ってません!」と答えましたが、そんなウソまでついて怒鳴られる対象にされた事がとてもむなしく感じました。
その日の帰り道で、なんでこんな苦しい思いをしてまで働かなきゃいけないんだと思い、気がついたら悔し涙が出てました。
言った本人はもう覚えていないと思いますが・・・
僕はこの出来事とその時の感情を一生忘れないと思います。
そんな時、ちょっとした転機が訪れました。
そのパワハラ上司が移動する事になったのです。
それはとても嬉しかったのを覚えています。
それが入社して約1年くらいたった時の出来事でした。
それから配達の業務をこなしながら、1日14時間は会社に拘束されるのが当たり前の生活が始まります。
ただ、配達に出てしまえば1人での業務なので、誰かに気をつかうということがなく、
気は楽でした。
しかし今度は、時間に追われるという大変さがありました。
荷物を自分で積んで出発したら、まずAM指定の荷物を遅れないように配達しなければならず、ゆっくりマイペースにというわけにはいきません。
会社は安全運転をしろ!と言いますが、正直言ってこんな環境では無理です。
もし時間に遅れたらデータでばれる仕組みになっています。
時間に遅れる、説教される、評価が下がる、給料が下がる。
配達が遅れたらこんな悪循環が生まれてしまうのです。
なのでみんな必死です。
そして焦っているので事故も起きます。
僕は在職中大きな事故を起こす事はありませんでしたが、運が良かっただけだと思ってます。
事故で怪我を負わせてしまったり、最悪死亡事故を起こして人生が狂ってしまう人も見てきたので事故を起こさず退職できたことはまだ良かったと思える点の1つです。
現場は毎日あわただしくて、暇な日なんてほとんどありませんでした。
配達に行っても不在の場合、再配達の依頼がくれば、また行かなければいけません。
その日に荷物が配達できなければまた翌日も行かなければいけません。
やっとの思いで配達が片付いても、新規で荷物はどんどん到着する。
まさにエンドレスでした。
こんなことを在職してる限り退職する数十年先まで続けるのかと思うと
とても憂鬱な気分になりました。
ですが、不思議なもので数か月そんな毎日を繰り返していると慣れてきます。
そして、まわりの社員もみんな我慢しているのだから自分もがんばらなくては!と考える様になっていきました。
忙しい毎日でしたが業務にもブラックな社風にも慣れてきた頃、
またパチンコ屋に行くようになります。
休日になれば勝てるかもしれないというちょっとした希望を胸に
打ちに行き、負けて希望を打ち砕かれる。
そして、負けた時は仕事に対するモチベーションもガクッと下がりました。
偶然にも一時的に勝てた時は、もし勝てる方法があって、毎回打つたび
こんな簡単にお金が手に入ったらと考え、
やはり仕事をすることがばかばかしく感じました。
ですが現実を考えてみると総額で負けている事は分かっていたし、
これで稼いでる人は本当にいるのか??くらいに思ってました。
・勝ち方を知っている人との出会い
そんな負けてはたまに少し取り返してという日々を繰り返していた時、
ある人物と知り合う事になります。
その人物は、職場で知り合いました。
元々その方は正社員ではなく、夜勤のバイトでやっていたのですが、
正社員でやらないかと役職にすすめられて正社員になる事を決めたと言っていました。
元々バイトでやっていたこともあり、何回かは話したことがあったので、
割と早く仲良くなりました。
そしてある日、僕がパチンコで負けたという話を
したことがきっかけで、その人から勝ち方を教えてもらう様になりました。
教えてもらうと言っても、理論や良い店を教えてもらうくらいで、
実際に一緒にホールに行ったりとか、そういうことはありませんでした。
僕はこの人から的確なアドバイスをもらったということなだけで、手取り足取り教えてもらったわけではありません。
言われた事を信じて続けた、ただそれだけです。(もちろん信用はある人です)
なにが言いたいのかと言うと、勝てるようになるには結局は自分次第ということです。
せっかく、ちゃんとした勝ち方を教えてもらっても、継続していかなければ勝ち続ける事はできないです。
そして、継続させることができない人は多いです。
なんで継続できない人が多いのかと言うと、勝てると自信を持てる様になる前に、
不安に押しつぶされて諦めてしまうから継続できないのです。
やっぱり好きなように打った方が楽しいし勝てなくてもいいや!となってしまうのです。
僕は、勝ち方を教えてもらってからも途中までは半信半疑でした。
なぜかというと収支がすぐにプラスにならなかったからです。
ここは説明するのがちょっとむずかしいところなんですが、すぐに結果が出る場合と出ない場合があります。
その違いは何かと言うと運です。
運と言っても最初だけなのですが、上振れから始まるか、下振れから始まるかの違いです。
最初に下振れから始まった場合は度合いにもよりますが精神的にきついと思います。
ですが最終的には収支は期待値通りに落ち着きます。
そして大体の人が下振れから始まります。
下振れなのでマイナスからスタートすることになります。
するとなんだ!勝てないじゃないか!となってせっかく抜け出せるはずだった負け組に戻ってしまう人がほとんどです。
それがよく言われる90%以上の人は負けてるってやつです。
僕も初めの頃はすぐに信用できませんでした。
ですがこれしか勝つ方法はないんだ!と思いながら続けて行くうちに、負けていた時より お金が残る様になっていき、余裕ができるようになりました。
そこからはもうあっと言う間にプラスに転換できました。
金銭的な余裕ができてからは、負けても冷静に考えられるようになって、運任せで打つ事はなくなり目の前にある台は打っていい台なのか打ってはいけない台なのかを判断できるようになり、勝率もあがっていきました。
正しい行動のうえでの負けなのか、負けるべくして負けたのかを判断できる様になりました。
とにかく勝ち方を知ってからは、店を選ぶ時もパチンコ台を選ぶ時も視点が変わりました。
今まで行っていたパチンコ屋も、全然違う見え方に変わっていきました。
よく行っていた良いと思っていたホールは、実はボッタクリ店だったり、
逆に良くないと思っていたホールが優良店だったり、
ホールにいるお客さんが勝っている人なのか負けている人なのかが分かる様にもなりました。
給料とパチンコ(この時はスロットはたまに打つ程度、この頃は、まだ勝てていませんでしたが)
両方の収入があるので、調子のいい月は2ヶ月ほど給料をおろさないこともありました。
ちなみに僕が1人暮らしを始める時の資金は、50万ほどかかりましたが、パチンコで勝ったお金でほとんどまかないました。
他にも、銀行の残高を気にする事はなかった(気にしなくても給料を使わないのでお金が増えていきます)←これはほんとに助かります。
欲しいものは値段なんか気にせず、欲しいと思ったらすぐ買えるようになった。
会社の人付き合いも金銭的なことを考えず、思いっきり楽しめるようになった。(仲の良い人限定です)
大体は日帰りですが、行ってみたいところがあれば車に乗ってよく行きました。
僕は関東の千葉県に住んでいるのですが、茨城県の真ん中あたりに位置するサンタの湯というところがあり、そこにもよく行ってました。
というか今でもたまに行きます。
そこは山の中にあるのですが、ドライブに丁度いいというか、行くまでに高速のサービスエリアに寄って気になるものを買ったり食事したり、その場の雰囲気だったり休日を満喫している感覚がとても好きでした。
サンタの湯に初めて行く人はきっとこう思ってしまうと思います。「こんな山の中にほんとに温泉施設なんてあるの?」と、
たまに行く僕でさえも「んっ!?道あってるよな?」と思ってしまうほどですが、ちゃんとつきますので大丈夫です。
関東圏に住んでいる人で、気分転換したい人にはぜひおすすめの場所です。
茨城ならではの納豆ドッグが食わず嫌いでしたが、食べてみたら美味しかったのでこちらもおすすめです。
(高速のサービスエリアに売っています)
もちろん連休が取れた時は遠出もしました。
2連休以上は年にほとんど取れる事はないので、なかなか泊りがけで遊びに出かけることはありませんでしたが・・・
僕は小学生の頃に、はだしのゲンという漫画(知っている人は多いと思いますが、原爆を落とされた広島の孤児の話)を読んで、原爆ドームと資料館に行ってみたいと思っていたので、連休を貰ったときに飛行機で行きました。
今考えたら新幹線の方が良かったのですが、その当時はそんなこと考えもせず、とにかく行ってみたいという好奇心が強く広島の一人旅はとても印象に残った経験でした。
お好み焼き屋に1人で入って、ビールを飲んでいたら現地在住のサラリーマン3人組に、気さくな感じで話しかけられて、交通手段を聞かれたりとかどこを見たの?とか宮島いった?など、色々聞かれ、あそこは行ってみるといいよなどおすすめの場所なんかを教えてもらいました。
もちろん宮島にも行って、有名な鳥居を見て、もみじ饅頭(また食べたいです)食べて、鹿も見てきました。
印象は日本人より外国人の方が断然多かったです。
他にも、沖縄と北海道も行きました。
沖縄は有名な場所じゃなくても海がとても綺麗で、有名な場所はどれだけ綺麗なんだと思いました。
その時は1人ではなく、仲の良い友人関係の人と2人だったのですがとても楽しめました。観光名所めぐりというよりは、ご飯食べてお酒飲むのがメインみたいな感じでした。
北海道もそんな感じでしたが、ジンギスカンがめちゃくちゃ美味しかったです。
有名どころだったので、芸能人のサインがたくさん飾られていたのが、印象的でした。
ここでも仲の良い友人関係の人と、ビールを飲みながら楽しく過ごしました。
とまぁ、金銭的な苦しさは感じてなかったので、仕事以外では本当に自由に行動していました。
・僕が本気で勝ちたい!と思う様になった理由
ここで僕がなぜ、勝ちたいと本気で考える様になったのかをお話しようと思います。
もちろん勝って金銭的な自由がほしいとか、そういう理由は当然ありました。
しかしそれはみんな考えてる事で、それが理由というだけでは僕が本気で勝ちたいとなる動機にはなりませんでした。
僕が本気になる原動力になったのは、父親の借金です。(今は完済しています。)
少し前の話になってしまいますが、僕が中学の時、父親が借金している事が発覚します。
借金取りが自宅に取り立てに来たことで発覚しました。
借金の原因は賭け事です。 主にパチンコ、スロット、だとは思いますが、他にもやっていたようでした。
父親は、借金が発覚する5年ほど前から消費者金融から借りていたようで、返済のためにまた借金を繰り返し、最終的には手を付けられないほど利息が膨らみ、取り立てが来る日まで内緒にしていたという事でした。
祖母が借金を返済して何とかなりましたが、700万くらいの借金があったと聞きました。
そんな経験をしていたので、自分もこのまま負け続けたら父親の二の舞だ!と思い本気で
勝ちたいと思う様になりました。
・仕事は順調!のはずだった・・・
僕は、長い事この運送会社で働いた方だとは思います。
15年間は働いていました。
もちろん途中でやめてしまいたいと思う様な出来事もあったし、人間関係にも悩みました。
嫉妬深い人や、ひねくれた人も多く、自己中心的な人もいました。
人間関係では在職していた時にこんな事がありました。
今現在は、給料明細はペーパーレスになりましたが、まだ紙の明細で貰っていた頃、
給料明細を営業車に忘れてしまった事が一度だけありました。
その忘れてしまった翌日、僕は休みで明細を忘れてしまったことに気付いていませんでした。
そして僕が休みの日に営業車に乗った他の社員が、僕の給料明細を見てしまったのです。
そして僕より給料が悪かったその社員は、別の社員にこう言っていたそうです。
「あいつは俺より配達も遅くて容量も悪いくせに、3万も多く給料をもらってやがる!!」
と言っていたそうです。
なんでそんなことを知っているのかと言うと、明細を見られた翌日から、
なんだか一部の人達の僕への態度が急に冷たくなりました。
用事があって連絡をしても電話に出てくれない。
仕事の事で協力を頼んでも「今、手が空いてないんで」と言って
断られる。
なんか変だと感じた僕は、事情を知ってそうな社員に
何か知らないか?と、きいてみたのです。
そこで、最初に書いた陰口がし発覚しました。
確かに給料明細を忘れてしまった僕も悪いのかもしれませんが、それを理由に電話を無視
したり、仕事上での協力の頼み事を受けないってどうなの??って思ってしまいました。
当時の僕は相当ショックを受けましたが、そんな器の小さい人たちに感情を揺さぶられて落ち込んでいる暇はないと考え、自分の業務に集中しました。
僕が退職するまでその一部の人達とは、仲良くなることはありませんでした。
そして、パチンコで稼ぎながらスロットで勝つ事も覚えて、
調子よく仕事も稼働も上手くいっていたのですが、
それは突然終わりを迎えました。
きっかけは担当地域の変更でした。
もちろんそんなことは、長い勤務の間に何度も経験しました。
ですが、今回は事情が違いました。
2~3人で集配して1日かけてやっと終わるようなキツイ地域を、1人で担当させられました。
当然、毎日毎日遅配して、顧客に嫌な顔をされて、他の社員や上司からも
なんだよ、また終わらないのかよ!というような言われ方をしたり、嫌な顔をされました。
僕はだんだん追い込まれて行きました。
本当に限界でした。 担当地域の変更は12月の頭に行われました。
12月と言うと繁忙期で忙しい月でした。
ただでさえ無理な月なのに、いきなり慣れないコースなんて終わるわけがありません。
朝、会社に出勤すると、トラックに積み切れないほどの荷物が自分の積み込みのスペースに山になっています。
必死になって2トントラックに積めるだけ積んで出発するのですが、荷物の量が多すぎるため、この荷物は後、これは急ぎの方がいいと判断しながら積みます。
なので時間がかかってしまうのです。
やっとの思いで荷物を積み終わったら
そこからは、配達に追われ、配達が終わらないうちに集荷の時間になり、集荷が終われば一度集荷の荷物を発送するために会社に帰らなければなりません。
集荷をおろしたらまた荷物を積んで出発です。
その時点で18時~19時くらいで、配達の残りが50件くらいあるのです。
誰かに応援に入ってもらって配達を終わらせ心身ともに疲れ切って、会社に帰る毎日でした。
毎日、誰かに頭を下げて応援のお礼を言い、お客にも謝罪で頭を下げて謝罪の言葉をのべる。
「おれはなんでこの仕事しているんだろう??なんで自分がこんな苦しい思いをしなきゃいけないんだろう。」と感じながらもやっとの思いで12月を乗り越えたのですが・・・
僕の担当しているコースは12月を過ぎても荷物の量は変わりませんでした。
もちろん多少は減りましたが、それでも1人でこなせるような量ではありませんでした。
まわりの地域は荷物の量が減って、時間に余裕ができるくらいにいなっているのに、
僕のコースは1日配達、集荷に集中していても終わりません。
店長にも限界と伝えました。
限界と伝えると同時にやめたいという事も伝えました。
ですが、もうちょっとしたら対策を考えると言われるだけで、なかなか対策をしてくれませんでした。
そして、1月、2月もそんな状況が続き、僕はもう精神的に限界でした。
仕事に行くのが嫌で嫌で具合が悪くなるほどでした。
夜も不安で眠れない毎日でした。
これ以上無理したら、精神的におかしくなる。
そう思いました。
過労でうつ病になり自殺してしまう人がいます。
その当時の僕には他人事ではありませんでした。
毎日毎日嫌だと思う事を無理して続けていると、ほんとに頭が変になってきます。
会社をやめるという判断ではなく、もう死んだ方がいいと本気で思うようになってくるんです。
頭の中は常にモヤモヤしていたし、休みになっても頭の中は、「あぁ~明日仕事かぁ、明日は配達多いのかな?終わるのかな?ということばかりが浮かんできてしまい、全く気が休まらず何をしても不安が常に付きまとってきて生きてるのが苦しく感じました。
実は思い出しながら書いている今も
記憶がフラッシュバックして正直あまりいい気分ではありません。
とにかく僕はやめる事を決心しました。
ですが、やめたいと言ったところで説得されて、もうちょっと頑張れ
と言われておしまいです。
なので僕は弁護士に退職代行を、お金を払って依頼しました。
安い金額ではありませんでしたが、そのまま無理に仕事を続けて精神をおかしくするよりはずっといいと思いました。
無責任だ!!と批判する人もいるとは思いますが、僕に残された選択肢はもうそれしかありませんでした。
そして急遽、退職をしました。
退職した当日は、なんか変な気分でした。
いつもなら車に乗り込み、会社に向かう時間なのに家にいるんですから、
そしてこの日から、15年間勤めていた会社という、うしろだてがなくなり、給料も入らなくなりました。
ですが、なんだか僕はほっとしました。
不安が消し飛んで安心しました。
良かった、助かったと思いました。
こんな感覚はほんとに久しぶりでした。
あの苦しさからようやく抜け出せた。と思うと同時にこれからどうするかも考えなくてはなりませんでしたが、自分の中でほぼ答えは出ていました。
どこかに就職するか?アルバイトでもして生計を立てるか?と考える人は多いと思いますが、僕は違いました。
もうしばらくの間は、会社に雇われるのはウンザリだ。と思っている自分がいました。
もう1つ思った事は、15年働いた後に今から正社員で雇われて、またいちから新人スタートする気にもなれませんでした。
だったらパチンコ屋で稼げるスキルを活かそう!そう考えて僕のスロットでの生活が始まりました。
・スロットで自由な暮らしができるという理想と現実
スロットでの生活と書いていますが、実は僕はパチンコの方が長いです。
会社を退職後は、パチンコで勝てる釘の台を探す日々を1ヶ月ほどしました。
イベントの日や釘が甘いホールをとりあえずまわる。
そして、ここのホールなら勝てそうだ!というホールを見つけ、実践しました。
ちゃんとボーダーを超えてる台に座り、技術介入もして稼働の時間も十分でした。
ですが、1ヶ月の収支を見てみると、下振れを起こして見事に負けていました。
この月では負けましたが、もちろん総額では勝てていました。
ですが、パチンコの場合、収支のブレが大きいのと、一日かけて回してもそんなに回転を稼げるわけじゃないと考えて、スロットの天井狙いも視野に入れる様になりました。
今では、天井狙いメインで稼働しています。
毎日、通勤することも無く、嫌な上司に気をつかうこともない。
他の人から見たら気楽そうでいいなと思われがちですが、実際はどうなのかと言うと、
毎日がホールまわりで忙しいです。 そして人にもよるのかもしれませんが孤独は嫌って人にはピンでの稼働は向いてないかもしれません。
僕は孤独でも平気なので(むしろ1人での時間が好き)
ピンでの稼働に向いていたんだと思います。
サラリーマンの様に毎月給料が入るわけではないので自分の実力と努力で収入が決まります。
なまけたらその分稼げないし、稼働しなければ収入を得るチャンスさえ掴めません。
そう考えたら厳しい世界ですが、逆に努力ができる人であれば努力した分が結果に繋がります。
冒頭でも書きましたが、兼業であればたとえプラマイゼロであっても金銭的な余裕はできます。
収支をマイナスの状態からゼロにできた。
そこまで頑張れた人ならプラスに持っていくのは難しくないです。
もう一つ言っておくと、生活ができるレベルになるのは稼働に使える時間が多く必要で簡単にはいきません。
ですが、
今、負けている状態を抜けだすのは簡単です。
僕はサラリーマン時代に稼げたと伝えました、単純に計算すると1ヶ月で主に8日~9日
(月によって変動はしますが)
言い換えればたった8~9日の稼働でも大きく上振れを起こせば、大金が舞い込む可能性があると言えます。
それが例え一時的な上振れであったとしても、しっかり期待値を取っていれば年間マイナスの可能性は限りなく0%に近づける事ができます。
特にスロットであれば、パチンコより回せる、期待値の計算(いくらプラスになってくれるか予想しやすい)がパチンコより分かりやすいので、おすすめできます。
5号機が無くなって稼げないとは言われていますが、
MAX2400枚であっても、普通に考えて簡単にはいかない枚数です。
5号機に枚数制限がないからと言って、あなたは5号機を打った時、常に2400枚を頻繁に超えていましたか?
コインの持ちも悪く、一回の試行では大きく負ける事も多かったはずです。
しかし、今は2400枚規制があっても、有利区間があっても、コイン持ちは断然に良くなったし、これからも規制は変わり続けていきます。
それが良い方向にいくのか悪い方向にいくのかは分かりませんが、収支をプラスにする方法は今後も変わる事はありません。
これは自信を持って断言できます。
なぜそう言い切れるのかと言うと、勝ち方の本質が変わる事はないからです。
今も昔も、勝つための本質は変わりません、機種によって狙い目などは違いがありますが、機械割100%以上を打つという本質はこれからも変わる事はありえません。
パチンコ、スロットの還元率は85%などと言われていますが、それは100%以下の部分を打った場合の負けている人の平均値であって、(僕個人の意見です)
100%以上の部分(パチンコなら、良釘狙い、遊タイム狙い、スロットなら天井狙い、高設定狙い)だけ、もしくは100%以上の部分を打つ時間を長くすることができれば、誰でも100%以上の還元率にできます。
その方法も決して難しいものではありません。
なので僕もあなたが勝てるようになることを(100%以上の機械割を打てるような情報やノウハウ)このブログを通してできるだけ伝えていきたいし、応援していきたいと思っています。